Boston - Don't Look Back 洋楽歌詞検索のTube365
最近、朝の通勤電車のなかでこれをワントラック・リピートで聞いている。
2008/09/22
2008/09/21
Resonance
昨日のエントリのおかげなのか、違う調べものして何気に「リテラリーマシン」でぐぐったら
興味深い論文をひっかけてくれた。
情報化社会に求められる学力(雑誌「教育と文化」 No.16) 研究報告ライブラリより
Winds of ASIA=御園生純 のサイト
2000年1月20日・・・前世紀末。
この論文の冒頭に、テッドネルソンの「リテラリーマシン ハイパーテキスト原論」からの引用がある。
カリキュラムは、どんなテーマでも単純化してしまう。それぞれのテーマの間に存在する多くのつ
ながりを切り落としてしまい、そのテーマの内容の豊かさや本来の魅力をそぎ落とした順序正しい
骨組みだけが残るのだ。(中略)さらに悪いことには、この教育システムは世界を『科目』に分け
ることができ、それぞれの科目がきちんと定義できるという態度を生徒に押しつける。また階層を
下から支える『基本』とその上に積み上げられた『高度な考え』というのがあって、後者はあとか
ら学ばねばならないという考えを受け付けているのだ。人々の知性の息吹きを破壊したり、彼らが
アイデアに没頭することや、考えたり、調査したり、仮説を立てたり興味をもったりするのを妨げ
るように、これほどうまく設計されたものは他にはないと言えるだろう。
テッド・ネルソンが指摘している「カリキュラム」の問題以外にも、「スケジュール」の問題もあるのではないだろうか?
「個人の理解の速度」を無視して、決められた期間内にできなければダメとする方法がである。
その結果、自分で考えるより「理解の加速度」が高い個に依存して、さらに、テクノロジーに依存してコピー
を受け取った結果が、私が感じている「劣化コピー」の問題につながっているのではないだろうか?
興味深い論文をひっかけてくれた。
情報化社会に求められる学力(雑誌「教育と文化」 No.16) 研究報告ライブラリより
Winds of ASIA=御園生純 のサイト
2000年1月20日・・・前世紀末。
この論文の冒頭に、テッドネルソンの「リテラリーマシン ハイパーテキスト原論」からの引用がある。
カリキュラムは、どんなテーマでも単純化してしまう。それぞれのテーマの間に存在する多くのつ
ながりを切り落としてしまい、そのテーマの内容の豊かさや本来の魅力をそぎ落とした順序正しい
骨組みだけが残るのだ。(中略)さらに悪いことには、この教育システムは世界を『科目』に分け
ることができ、それぞれの科目がきちんと定義できるという態度を生徒に押しつける。また階層を
下から支える『基本』とその上に積み上げられた『高度な考え』というのがあって、後者はあとか
ら学ばねばならないという考えを受け付けているのだ。人々の知性の息吹きを破壊したり、彼らが
アイデアに没頭することや、考えたり、調査したり、仮説を立てたり興味をもったりするのを妨げ
るように、これほどうまく設計されたものは他にはないと言えるだろう。
テッド・ネルソンが指摘している「カリキュラム」の問題以外にも、「スケジュール」の問題もあるのではないだろうか?
「個人の理解の速度」を無視して、決められた期間内にできなければダメとする方法がである。
その結果、自分で考えるより「理解の加速度」が高い個に依存して、さらに、テクノロジーに依存してコピー
を受け取った結果が、私が感じている「劣化コピー」の問題につながっているのではないだろうか?
2008/09/20
「私と言う名の他人」の存在意義
子供のころから昭和生まれ以前の人たちは、「通信簿」によって自分の評価を受け入れてきた。
「情報発信権」が限られた人たちの特権だった時代はそれはそれで社会は成り立っていた。
しかし、インターネットの普及により「情報発信」が一般の我々でもできるようになった今、
「情報発信権」の価値は大暴落しているのではないだろうか。
たとえば、生まれてから今までの「生涯通信簿」があり、それが「私」の「社会」における地位を
決めていたとしよう。
「インターネット以前」の20世紀においてはそれは揺るがすことのできない「運命」だったのかもしれないが、
「インターネット以後」の21世紀においては、自ら情報発信をすることによって、「生涯通信簿」の評価を
覆すことも可能になってしまったのではないだろうか。
もし、「生涯通信簿」を守ろうとする組織がいたとしよう(笑)
たぶん、彼らは自分達が下した「主観的な評価」を守るための「方策」をとるだろう。
その「主観的な評価」は既に大暴落してしまった「情報発信権」を有していた人たちしか見ないのに。
<Link>
<特集ワイド>この国はどこへ行こうとしているのか 鷲田清一さん
九月の「生命(いのち)の言葉」
一燈を提げて暗夜を行く 暗夜を憂ふるなかれ 只一燈を頼め
佐藤一斎
皆中稲荷神社 にて拝受。
「情報発信権」が限られた人たちの特権だった時代はそれはそれで社会は成り立っていた。
しかし、インターネットの普及により「情報発信」が一般の我々でもできるようになった今、
「情報発信権」の価値は大暴落しているのではないだろうか。
たとえば、生まれてから今までの「生涯通信簿」があり、それが「私」の「社会」における地位を
決めていたとしよう。
「インターネット以前」の20世紀においてはそれは揺るがすことのできない「運命」だったのかもしれないが、
「インターネット以後」の21世紀においては、自ら情報発信をすることによって、「生涯通信簿」の評価を
覆すことも可能になってしまったのではないだろうか。
もし、「生涯通信簿」を守ろうとする組織がいたとしよう(笑)
たぶん、彼らは自分達が下した「主観的な評価」を守るための「方策」をとるだろう。
その「主観的な評価」は既に大暴落してしまった「情報発信権」を有していた人たちしか見ないのに。
<Link>
<特集ワイド>この国はどこへ行こうとしているのか 鷲田清一さん
九月の「生命(いのち)の言葉」
一燈を提げて暗夜を行く 暗夜を憂ふるなかれ 只一燈を頼め
佐藤一斎
皆中稲荷神社 にて拝受。
2008/09/18
2008/09/16
VirtualBox
2008/09/14
ノマド
最初にこのことばを知ったのは、スズキの車なわけなんだが、
大学生だった当時はそのCMイメージの「遊牧民」はピンとこなかった。
IT業界に足を踏み入れ、あっちこっちあれやそれやとやってきて
未だ根を張れない今の状況は、「遊牧民」をビンビン感じている(自爆)
忘れていたそのことばを思い出させてくれたきっかけは、スポンタ中村氏。
(ちょっとどのエントリかは忘れてしまったが、たぶんコレ)
再び忘却の彼方にいきかけた、このことばが佐々木俊尚氏のエントリで三度目の復活。
Googleストリートビューは食傷気味だったので読んでいなかったのだが、
今日買ったサブラ10月号の佐々木氏のコラムで、具体的な問題提起を読んだ後に、
上記のエントリを読んだらスルスルと入ってきた。
そして、ぐぐって例によって松岡正剛氏のエントリへ導かれて(検索履歴のおかげかHit率がいいぜ!)
さらに未開の知のジャングルへいざなわれたのであった・・・
あー明日がお休みでよかった(笑)
大学生だった当時はそのCMイメージの「遊牧民」はピンとこなかった。
IT業界に足を踏み入れ、あっちこっちあれやそれやとやってきて
未だ根を張れない今の状況は、「遊牧民」をビンビン感じている(自爆)
忘れていたそのことばを思い出させてくれたきっかけは、スポンタ中村氏。
(ちょっとどのエントリかは忘れてしまったが、たぶんコレ)
再び忘却の彼方にいきかけた、このことばが佐々木俊尚氏のエントリで三度目の復活。
Googleストリートビューは食傷気味だったので読んでいなかったのだが、
今日買ったサブラ10月号の佐々木氏のコラムで、具体的な問題提起を読んだ後に、
上記のエントリを読んだらスルスルと入ってきた。
そして、ぐぐって例によって松岡正剛氏のエントリへ導かれて(検索履歴のおかげかHit率がいいぜ!)
さらに未開の知のジャングルへいざなわれたのであった・・・
あー明日がお休みでよかった(笑)
2008/09/13
2008/09/11
クォンタムジャンプ
3月くらいからうにゃうにゃと新しく得た知識や情報をノートブックにぺたぺたはっているわけだが、
なんか不満ばかりだなぁ~
なんか同じところをぐるぐるまわっているのかなぁ~
やってなんかいいことあんのかなぁ~
なんて思った時期もあった。
いつころからか、なんかしらないけど、習慣のようになり、新しい知識や情報を察知する感度が
あがったような、それを調べる精度もなんかあがったように感じている。
それはまるで、同じところをぐるぐるとまわっていると感じていたが、
それはすこしずつスパイラル状にまかれた針金のような軌跡をとっていて
ある日、ビョ~ンビョ~ンとはね始めたような感覚である。
なんか不満ばかりだなぁ~
なんか同じところをぐるぐるまわっているのかなぁ~
やってなんかいいことあんのかなぁ~
なんて思った時期もあった。
いつころからか、なんかしらないけど、習慣のようになり、新しい知識や情報を察知する感度が
あがったような、それを調べる精度もなんかあがったように感じている。
それはまるで、同じところをぐるぐるとまわっていると感じていたが、
それはすこしずつスパイラル状にまかれた針金のような軌跡をとっていて
ある日、ビョ~ンビョ~ンとはね始めたような感覚である。
