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2010/02/05

詩歌という暗号

この三十一字による短詩形文学は、要するに叙景と叙心という二つのテーマをめぐって成立するもであり、
その表現範囲はきわめて限られたものであり、・・・
 :
しばしば叙景は叙心を導き出すための、ただのきっかけにすぎないことがある。
いや、その方が多いくらいのものである。
とすると、叙景はほとんど無意味であって叙心のための暗号と化することさえ珍しくはなくなるであろう。
 :
従って和歌は、どうしても、お互いに気心の知れた、狭い、限定された社会におけるコミュニケーションの
手段化することも、これは避けがたい。

         定家明月記私抄続篇 定家、後鳥羽院の勅勘を蒙る 承久二年記 堀田善衛著 より

また、出入り禁止をくらって日記にぐちぐち書いている藤原定家であったwww

2010/01/28

民衆に還し再生す

頂点に達し、袋小路から脱出するためにとった方法。

 それ以上の登高が空気が希薄になって -ということは、本歌取りにつぐ本歌取りで-
 不可能とあれば、それはもう一度、麓の民衆にもどされなければ再生は不可能である。
 それが民衆に戻されて連歌や俳諧に変形して再生するまでには、芭蕉の出現まで
 四百年以上も待たなければならない。

定家明月記私抄続篇 危機への傾斜 堀田善衛著 より

2010/01/23

権威権力という幻想装置

しかし、京をはるかに離れた鎌倉にいる内大臣、右大臣というものも、まことに妙なものである。
実に、現実を失って浮き上った者を、強烈に惹きつけるものとしての、京都の幻想装置が
如何に有効かつ高度に作用するものであるかが、実朝の側から見てあわれなほどにも
明らかに見えてくる。
             定家明月記私抄続篇 源実朝 建保元年-六年 堀田善衛著 より

平氏から源氏、京から鎌倉。
源氏から北条氏、京と鎌倉。
公家と武士。

教科書には載っていなかった生々しい権力闘争が淡々と語られていくなかで
ふと和歌が入りほっとさせる。

2010/01/21

日記というノウハウ

 七月廿日には公事竪義なる、公事についての研究論議が行われ、
 定家はその論議の「問者」を命ぜられ
  :
 その他もろもろの公事の記録が必要であり、記録はすなわち諸家の日記であったことから、
 これを借りる必要が出てくるわけである。
 けれども、そこが狭量小心な貴族たちのこと「今ニ於テハ日記ヲ借ス人無シ・・・」

定家明月記私抄続篇 堀田善衛著 より

これはそういうことがあったから苦心して作ったのかなぁ・・・

2010/01/19

定家明月記私抄(正)メモ

先日ようやく正を読了したので書き散らかした関連したものをまとめておく。

2009/11/08
 21:28 topazos  上野公園で看板を見た。
2009/11/23
 18:16 墓守をする猫 前期展を見に行った。
 23:51 松岡正剛の千夜千冊『定家明月記私抄』正・続 堀田善衛 マーク1
2009/11/24
 19:00 松岡正剛の千夜千冊『定家明月記私抄』正・続 堀田善衛 マーク2
 19:03 マーク3
 19:23 アルシーブ
2009/11/25
 09:00 松岡正剛の千夜千冊『知の考古学』ミシェル・フーコー マーク5
 09:01 マーク6
 19:56 盗作とは何か4 マーク1
 19:57 本歌取 - Wikipedia マーク1
 20:04 asahi.com : 朝日新聞社 - 冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展 展示構成 マーク1
 20:47 遊び足りない 探しに行った。
2009/11/26
 10:21 「1980年4月4日、朝日新聞の朝刊1面トップ」asahi.com : 朝日新聞社 - 冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展 マーク1
 10:22 asahi.com : 朝日新聞社 - 冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展 見どころ マーク1
 19:31 my sky hole  後期展を見に行った。
2009/11/27
 21:29 アマゾン 本キ(・∀・)ター!。
2009/12/03
 15:29 雨読
2009/12/04
 14:59 空は晴れるも
2009/12/05
 20:54 権威でもなく権力でもなく
2009/12/07
 16:14 あそび
 18:07 松岡正剛の千夜千冊『ホモ・ルーデンス』ヨハン・ホイジンガ マーク1
 19:21 マーク2
2009/12/08
 16:51 蕭瑟ノ景気ヲ望ミ、独リ感ジ思フ
2009/12/11
 21:59 『定家明月記私抄(堀田善衛)』その4 - 南包の風呂敷 - 楽天ブログ(Blog) マーク1
2009/12/29
 19:39 都鳥 伊勢物語
2010/01/06
 18:27 言問 伊勢物語
2010/01/08
 17:59 有家にがすな
2010/01/09
 00:48 江戸の文人サロン : 書評 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) マーク2
 18:36 松岡正剛の千夜千冊『西田幾多郎哲学論集』西田幾多郎 マーク1
2010/01/11
 20:32 曇り一時晴れ 正読了。
2010/01/18
"一点のリアル"

松岡正剛の千夜千冊『定家明月記私抄』正・続 堀田善衛
【コメント】我 (10/01/20 8:30追記)詠んだ我と読んだ我

"やっぱり果物は齧ってみないと味はわからず、買った本はソファで赤ペン片手にページを開いてみないとわからない。"

ISIS本座 - 『なぜ金融リスク管理はうまくいかないのか 』リカルド・レボネト 松岡正剛の千夜千冊

2010/01/10

内なるモノ

では、内なる「主もなく客もなく」は何なんだろうか?

そりゃぁ~DNAに決まっているでわないか。


1865年 メンデルの法則発表
1869年 DNA発見
1870年 西田幾太郎誕生

コスモ

客観を主観で包みこめていないとしたら、「まだ自我は無い」と言えるのかもしれない。
客観を教育によって積み重ね、いや、形成し、そこからはみだしたモノが主観を形成していくのか。

そして、「主観で包みこんだ客観」と「主もなく客もない」空間が、その人固有のセカイとなる。

では、主観の外側はどうなっているのだろうか?


”たとえば『風土』でも、「はれ」というひとつの言葉が「晴天」と「上機嫌」の両方に
 適用されているような例(「晴れた日の晴れ晴れしい気持ち」)が見受けられる。
 この連関の論理は多様な形で表されるけれども、それはさまざまな文化を超越している。

 実際には比喩的関係は言葉のレヴェルでしか機能しないのではなく、
 もしろ宇宙論的(コスモロジック)と言っていいレヴェルで機能する。

 そして文化はそれ自体に固有の秩序で、この宇宙論的な秩序を解釈するのである。”

 「風土の日本 自然と文化の通態」 オギュスタン・ベルク著 篠田勝英訳 ちくま学芸書房刊 より

2010/01/09

客観という皮膜


"「たとえば、色を見、音を聞く刹那、未だ主もなく客もない」"
松岡正剛の千夜千冊『西田幾多郎哲学論集』西田幾多郎

"しかしここにきて西田は人間の意識のはたらきというものは、主観が客観を「包む」のだと考えるようになった。自分という「見る」ものには、その自分を含む「無の場所」のようなものが介在していると考えた。"
松岡正剛の千夜千冊『西田幾多郎哲学論集』西田幾多郎


だから、「常識を破る」ことができる。

そして、「常識に囚われる」ことの危険性を読み取ることができる。


"「春雨」とか「時雨」という、それ自体ですべての自然との関係を集約する言葉に自分を捨てられる。"
松岡正剛の千夜千冊『俳句と地球物理』寺田寅彦
【コメント】レビアたんのツンのワビ・サビ・品ですな。
主観が科学的に分析され、客観となる。


<Link>
2009/01/02 - 私の中に
2010/01/09 - うにゃの散歩道

2010/01/04

自然を看護する

”日本の自然は自然のままの形においては実に雑然と不規則に荒れた感じになる。
ヨーロッパの牧場ほどに整然とした感じの緑草の原を作るためには、
日本においては除草や草刈りや排水の配慮や土の固まり方などについて
不断の注意手入れを怠ることができぬ。
 :
日本人をして造園術についての全然異なった原理を見いださしめた。
自然を人工的に秩序立たしめるためには、自然に人工的なるものをかぶせるのではなく、
人工を自然に従わしめねばならぬ。
人工は自然を看護することによってかえって自然を内から従わしめる。
 :
仕事そのものの意義においてはギリシャの芸術と規を一にすると言ってもよい。”

                   風土 人間学的考察 和辻哲郎著 岩波文庫刊 P225より

<Link>
2008/05/15 - はらっぱ
2008/08/10 - ただいま

2010/01/01

(='ω'=)/ 新年あけましておめでとうございます。

(='ω'=)  今年のテーマは「」。


(=~ω~=) 雑草、雑木林、雑貨、雑誌・・・

(='ω'=) そのように暮らしていこうと思っています。


 ”自然感情は、詩の形で表現されるにせよ、一方で「客観的データ」に、 
 他方で「主観的イメージ」に、と二つに分類されるわけではない。
 またさらに、客観的なものの次元か、あるいは主観的なものの次元か、
 そのどちらかに問題を限定してはならないのだ。
 この感情は、そもそも混合的(コンポジット)な性質を持つ。
 すなわち、主観的なものと客観的なものを、固有の論理を備えた構成のなかに
 統合しているのである。”

      風土の日本 オギュスタン・ベルク著 篠田勝英訳 ちくま学芸文庫刊 P56より

2009/12/31

日本風土のDNA

 ”ギリシャの彫刻のすぐれているゆえんは、この「内なるものを外にあらわにする」という点に存する。
 それは外にあらわになるもののほかに内なるものが存せぬことである。
 ローマ時代のうつしに至ってはこの特性は残りなく失われた。

 摸作家は内よりの起伏としての面を平面的にひろがる面として受け取り、それを丁寧に模写する。
 面は滑らかにきれいになるが同時に何ものかを包む面になる。

 ところで、粉本たるギリシャの彫刻は何ものをも包まないものであるから、
 何ものかを包むという意味を持った面が何ものをも包まずして立つことになる。

 これが摸作の持っている強い空虚な感じのもとである。”

                        風土 人間学的考察 和辻哲郎著 岩波文庫刊 P218より

"ヨーロッパの教育は、論理や記憶を基本とし、そこに感情はない。
しかし日本は感じることを重んじる。"
日本の職人芸を世界ブランドに:茂木vsゲルマン (4)(Voice) - goo ニュース
【コメント】「だから模倣し改善することができるのではないか?」とのこと。


ギリシャから東に向かった文化と西に向かった文化を融合するときなのかもしれない。

2009/12/07

"「遊びのおもしろさは、どんな分析も、どんな論理的解釈も受けつけない」"

松岡正剛の千夜千冊『ホモ・ルーデンス』ヨハン・ホイジンガ


"ところがわれわれは、この幼児や子供のころから体感している遊びが秘めているリズムやハーモニーが何であるかは、知ってはいない。知ろうとする以前に、体に入ってしまっているからだ。しかしながらわれわれは、そのリズムやハーモニーが何かによって破られたとき、とたんに自分が心地よい遊びの中にいたことを知らされるのだ。"

松岡正剛の千夜千冊『ホモ・ルーデンス』ヨハン・ホイジンガ

あそび

「遊戯というのは何か独自の、固有のものなのだ。
遊戯という概念そのものが、まじめよりも上の序列に位置している。
真面目は遊戯を締め出そうとするのに、遊戯は真面目をも内包したところで
いっこうに差し支えないからである。」
『ホモ・ルーデンス(遊戯人間)』 ヨハン・ホイジンガ著 より引用。
                                  定家明月記私抄 堀田善衛著

2009/12/05

権威でもなく権力でもなく

私にはこういう歌や、歌に歌を重ねる本歌取りのことを見ていると、
作歌態度そのものが、実に天皇制度というものとぴったりと重なったものとして見えて来ることがある。
前者はつくるためにつくり、つくられ。後者は存在し、かつ存続するためだけに存在している。
歴史としては過去と現在しかなく、それ自体としての未来の展望はない。

                                  定家明月記私抄 堀田善衛著

<Link>
お蔭参り:イザ!
アルシーブ:イザ!

2009/11/15

割らない

"この「割らない」という真淵の見方こそ、のちに宣長に継承される。"

松岡正剛の千夜千冊『本居宣長』小林秀雄

【コメント】「いきほひ」(勢=息追い)

ひとつにしないことも、割らないことなのかもしれない。

"「わからない」"

「知る力」よりも「観る力」:DESIGN IT! w/LOVE

【コメント】見えていない

本来、異なるモノをひとつにして、分からなくなる、見えなくなる。

"活版印刷"

Twitter / テストユーザー: 大手の宗教(?)ができた頃はネットどころか活版印刷す ...

【コメント】日本は飛鳥奈良時代から印刷技術があったから、あっちこっちに神様仏様が生まれていったのかなぁ・・・意図して一つにまとめなかった=「割らなかった」(=内と外に分けなかった)としたら・・・恐るべし八百万(やおよろず)政策!

2009/10/20

家と城壁

まだ読み切っていない 「風土 - 人間学的考察」和辻哲郎著。
久しぶりに手にとって読んでみたら、ストンと腑に落ちる一節があった。

洋服とともにはじまった日本の議会政治が依然としてはなはだ滑稽なもであるのも、
人々が公共の問題をおのが問題として関心しないためである。
城壁の内部における共同の生活訓練から出た政治の様式を、この地盤の訓練なくして
まねようとするからである。
「家」を守る日本人にとっては領主が誰に代ろうとも、ただ彼の家を脅かさない限り
痛痒を感じない問題であった。
よしまた脅かされても、その脅威は忍従によって防ぎえるものであった。
すなわちいかに奴隷的な労働を強いられても、それは彼から「家」の内部における
へだてなき生活をさえ奪いさるごときものではなかった。

それに対して城壁の内部おける生活は、脅威への忍従が人から一切を奪い去る
ことを意味するがゆえに、ただ共同によって争闘的に防ぐほか道のないものであった。

だから前者においては公共的なるものへの無関心を伴った忍従が発達し、後者においては
公共的なるものへの強い関心関与とともに自己の主張の尊重が発達した。

(P201より)

確かに、日本の城はどちらかといえば、殿様の家ということができる。
日本の西洋の城に近い城壁に囲まれた街といわれて思い出すのは、2年間住んだことのある
戦国時代織田信長と対立した商人の町堺。

2009/05/23

おくゆかし


"「ゆっくり歩いたらどんな罰則があるんだ?罰則がないなら、どうして警報が鳴るくらいで速く歩くんだ?」"

On Off and Beyond: 卵が先かニワトリが先か

【コメント】「言われた通りにしなさい委員会(笑)」のおしごとのためです。 そして彼らはこう言います「ほら言われた通りにしなかったからxxだろ!」

つまり、日本人は外人と違って、「罰」ではなく「怒られる」という「恥」に敏感なんでしょう。

2009/03/22

因襲の暗闇



本日は谷中界隈を散策。
巡回コースのひとつ、アラン・ウエスト氏のアトリエにパンフレットがあったので手にとる。

その学び方は、いわゆるジャポニカ的な技術主義を避けて、
日本画の、というより日本文化に流れているエッセンシャルな核心に触れ、魅了されるまま、
日本画を遂に因襲の暗闇から引っ張り出すのに成功してしまった。
東京国立博物館名誉会員・作家 長谷川栄