池田信夫Blogの人材鎖国を読んでもやもやとした気分のここ数日。
ITProの生越昌己のオープンソースGTDのオープンソースは品質が良い?
で面白いコメントに「応え」があった。
OpenSSLという「これから」最も重要になるであろうモジュールにバクがあったという
「ショック」な事件での考察で、
「下手なレビューはむしろ有害」
という見解があった。
=~ω~=) なんかこれIT業界に通じるような・・・
冒頭の「人材鎖国」を読んでうにゃうにゃと脊髄反射したログに書いているのだが、
どうもPDCAが廻ってないような印象を受ける。
じゃ、PDCAって「誰が」回すものなのだろうか?
ユーザーだろうか?SIerだろうか?メーカーだろうか?
いや、「誰かひとりでもない」。
システムのライフサイクルと現状を考えた場合、
Pはユーザー企業のシステム部門
Dは下請け
CはSIer
Aはユーザー企業実務者
となっていて、それぞれが各自のPDCAを回すことが精いっぱいで全体としてのPDCAが廻っていない
タコツボ化現象が起きているのではないだろうか?
そして、あるエンジニアの新人時代の体験談を読んだとき、「こりゃダメだ」って感じた。
レビュアーとレビューイが対等ではない。
レビュアーが必ず「上から目線」で正しいってことになっているんじゃないか?
チェックする人が正しい偉いって勘違いしちゃってるんだろうな。
Playerより評論家の方が偉いって
コーチや監督じゃないところがミソ
だってコーチや監督だったら「責任」とらなきゃいけないじゃん(笑)
なんのための二人組なのか理解していない。
二人が同じなら一人でいい。
それが三人も四人もいるんだったら無駄。
管理コストの無駄。
PDCAのCにいる人は誰がチェックするんだろう?
PとDとAにいる人に決まっているじゃないか。
それが全方位評価ってものでしょ?
結局のところ、利害関係者が同じテーブルについていないってことじゃないだろうか?
あるいは、同じテーブルにつこうとしていないところにこの問題の深さがあるのじゃないだろうか?
そして、タイトル。
チェックしている人のもともとの資料は誰が血や涙を流してできたものかわかっているんだろうか?
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