2010/01/09

客観という皮膜


"「たとえば、色を見、音を聞く刹那、未だ主もなく客もない」"
松岡正剛の千夜千冊『西田幾多郎哲学論集』西田幾多郎

"しかしここにきて西田は人間の意識のはたらきというものは、主観が客観を「包む」のだと考えるようになった。自分という「見る」ものには、その自分を含む「無の場所」のようなものが介在していると考えた。"
松岡正剛の千夜千冊『西田幾多郎哲学論集』西田幾多郎


だから、「常識を破る」ことができる。

そして、「常識に囚われる」ことの危険性を読み取ることができる。


"「春雨」とか「時雨」という、それ自体ですべての自然との関係を集約する言葉に自分を捨てられる。"
松岡正剛の千夜千冊『俳句と地球物理』寺田寅彦
【コメント】レビアたんのツンのワビ・サビ・品ですな。
主観が科学的に分析され、客観となる。


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2009/01/02 - 私の中に
2010/01/09 - うにゃの散歩道

2010/01/05

はがきと封筒

はがきは何が書いてあるか見ようと思えば見れる。
封筒は見れないけれど、破れば中身が見れる。

だからといって、中身を見ていいふらす人はいない(たぶん)。

誤配があったら同じアパートだったらポストへ入れておくし
昔住んでいた人だったら郵便局へ届ける。

それが社会人のモラルってもんなんだろう。

2010/01/04

自然を看護する

”日本の自然は自然のままの形においては実に雑然と不規則に荒れた感じになる。
ヨーロッパの牧場ほどに整然とした感じの緑草の原を作るためには、
日本においては除草や草刈りや排水の配慮や土の固まり方などについて
不断の注意手入れを怠ることができぬ。
 :
日本人をして造園術についての全然異なった原理を見いださしめた。
自然を人工的に秩序立たしめるためには、自然に人工的なるものをかぶせるのではなく、
人工を自然に従わしめねばならぬ。
人工は自然を看護することによってかえって自然を内から従わしめる。
 :
仕事そのものの意義においてはギリシャの芸術と規を一にすると言ってもよい。”

                   風土 人間学的考察 和辻哲郎著 岩波文庫刊 P225より

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2008/05/15 - はらっぱ
2008/08/10 - ただいま