高校時代は理系にいながら「倫理社会」が最も得意だった。
物理学の祖と言われるニュートンの「プリンキピア」の
正式名が「自然哲学の数学的諸原理」
であると知ったときの感動を今風に例えると
(※80年代はじめの当時はパソコンの存在なぞ知らなかった。)
「ニュートンのパソコンに新しいディレクトリができる瞬間を
リアルタイムで見た」
と表現することができる。
『「物理」ってことばってなかったんだ・・・なのに・・・すげぇ』
と感動した覚えがある。
さて、表題は哲学者デカルトの有名な言葉である。
デカルトが提唱した演繹法についてメモしておこうと思う。
>もっとも単純な要素から始めてそれを演繹していけば
>最も複雑なものに達しうるという、
>還元主義的・数学的な考えを規範にして、以下の4つの規則を定めた。
>
> 1. 明証的に真であると認めたもの以外、決して受け入れない事。(明証)
> 2. 考える問題を出来るだけ小さい部分にわける事。(分析)
> 3. 最も単純なものから始めて複雑なものに達する事。(総合)
> 4. 何も見落とさなかったか、全てを見直す事。(枚挙 / 吟味)
ルネ・デカルト 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ところで、表題のことばを最初に知ったのは、寺沢武一氏のコブラである。
地球どころか宇宙全体をも支配しようとしはじめたコンピュータの
暴走を止める為にコブラが入力したキーワードである。
2007/12/22
ワインバーグのリーダーシップ論
発売直後(1991年10月)に読んだワインバーグ博士の
「スーパーエンジニアへの道―技術リーダーシップの人間学」
によると、リーダーには3種類の人間がいるという。
※(;><)度重なる引っ越しで今手元に原本は無いんです
今風に言い換えると次のように表現できると思う。
1.イノベーター
2.コミュニケーター
3.オーガナイザー
イノベーターが創造あるいは入手した技術を
コミュニケーターが広め
オーガナイザーが維持管理する。
「スーパーエンジニアへの道―技術リーダーシップの人間学」
によると、リーダーには3種類の人間がいるという。
※(;><)度重なる引っ越しで今手元に原本は無いんです
今風に言い換えると次のように表現できると思う。
1.イノベーター
2.コミュニケーター
3.オーガナイザー
イノベーターが創造あるいは入手した技術を
コミュニケーターが広め
オーガナイザーが維持管理する。
2007/12/21
科学者と芸術家 寺田寅彦
>観察力が科学者芸術家に必要な事はもちろんであるが、
>これと同じように想像力も両者に必要なものである。
>
>世には往々科学を誤解してただ論理と解析とで固め上げたもののように
>考えている人もあるがこれは決してそうではない。
>論理と解析ではその前提においてすでに包含されている以外の
>何物をも得られない事は明らかである。
>
>総合という事がなければ多くの科学はおそらく一歩も進む事は困難であろう。
>
>一見なんらの関係もないような事象の間に密接な連絡を見いだし、
>個々別々の事実を一つの系にまとめるような仕事には
>想像の力に待つ事ははなはだ多い。
>
>また科学者には直感が必要である。
>
>古来第一流の科学者が大きな発見をし、すぐれた理論を立てているのは、
>多くは最初直感的にその結果を見透した後に、
>それに達する論理的の径路を組み立てたものである。
青空文庫「科学者と芸術家」寺田寅彦著より ※構成&色づけ by (='ω'=)
学生時代に図書館から借りて読んだシステム工学(たしか岩波講座基礎工学だった)の本に
「分析とは物事をバラバラにすること」
「設計とはバラバラの部品を統合すること」
といったことが書いてあったのを思い出しました。
「論理」と「解析」は「管理」する為には必要な手法と思われる。
「ある一定のルール(論理)」に基づいて「人の行動(※行為から修正)を解析」し判断を下す
という行為を「現在の管理」とした場合である。
管理とは状態を維持するための行為であって、新しい価値を創造するものではない。
また、管理対象を細分化することによってでしか成長することはできない。
細分化されタコつぼ化と揶揄されはじめた状況をWebは変えようとしている。
<Link>

猪瀬博 コンピュータ博物館 日本のコンピュータパイオニア 社団法人情報処理学会
「文化国家としての技術立国を」 猪瀬博教授 堀 浩一(東京大学)著
「屁尾下郎」氏のツッコミが世の中を詰まらせる 「公私混同」原論 糸井重里著
「栄光なき天才たち」 第6巻 理化学研究所 作:伊藤智義、画:森田信吾
>これと同じように想像力も両者に必要なものである。
>
>世には往々科学を誤解してただ論理と解析とで固め上げたもののように
>考えている人もあるがこれは決してそうではない。
>論理と解析ではその前提においてすでに包含されている以外の
>何物をも得られない事は明らかである。
>
>総合という事がなければ多くの科学はおそらく一歩も進む事は困難であろう。
>
>一見なんらの関係もないような事象の間に密接な連絡を見いだし、
>個々別々の事実を一つの系にまとめるような仕事には
>想像の力に待つ事ははなはだ多い。
>
>また科学者には直感が必要である。
>
>古来第一流の科学者が大きな発見をし、すぐれた理論を立てているのは、
>多くは最初直感的にその結果を見透した後に、
>それに達する論理的の径路を組み立てたものである。
青空文庫「科学者と芸術家」寺田寅彦著より ※構成&色づけ by (='ω'=)
学生時代に図書館から借りて読んだシステム工学(たしか岩波講座基礎工学だった)の本に
「分析とは物事をバラバラにすること」
「設計とはバラバラの部品を統合すること」
といったことが書いてあったのを思い出しました。
「論理」と「解析」は「管理」する為には必要な手法と思われる。
「ある一定のルール(論理)」に基づいて「人の行動(※行為から修正)を解析」し判断を下す
という行為を「現在の管理」とした場合である。
管理とは状態を維持するための行為であって、新しい価値を創造するものではない。
また、管理対象を細分化することによってでしか成長することはできない。
細分化されタコつぼ化と揶揄されはじめた状況をWebは変えようとしている。
<Link>

猪瀬博 コンピュータ博物館 日本のコンピュータパイオニア 社団法人情報処理学会
「文化国家としての技術立国を」 猪瀬博教授 堀 浩一(東京大学)著
「屁尾下郎」氏のツッコミが世の中を詰まらせる 「公私混同」原論 糸井重里著
「栄光なき天才たち」 第6巻 理化学研究所 作:伊藤智義、画:森田信吾
2007/12/20
科学と芸術の出会う物語

NIKKEI NETを見ていたら、ちょっと気になるキーワードを発見したので、
早速検索。
トップにヒットした日本科学技術ジャーナリスト会議の
「科学と芸術の出会う物語」
ということばが私の琴線にビンビン振れ、「お気に入り」に追加。
日経のモトネタは「小惑星探査機、ジャズで応援」だった。
<2008/2/3追記>
きっかけを作ってくれた。
2007/12/19
T-Time

青空文庫のhtmlファイルをIE等のブラウザで見ると
横書きになって、ちょっと読みにくい。
そのように感じる人向けに文庫感覚で見るためのソフトです。
<Link>
株式会社ボイジャー T-Timeダウンロードセンター
ASCII24 2005年3月15日 T-Time紹介記事
DNP 秀英体

2007/12/16
武蔵野いきあたりばったり

青天の日曜日、三鷹方面へ行こうと家を出たが、昨日と同じ道を通るのは
芸が無いと思い、足の向くまま、気の向くままの散歩と決めた。

東伏見のダイドードリンゴアイスアリーナ前で一服した後、武蔵関公園を
縦断し、早稲田大学野球場のバックネットを右手に見て坂を上り、
青梅街道を横断して千川上水へ。

武蔵野市コミュニティセンターを通り過ぎると、右手には科学特捜隊基地
のようなNTT武蔵野研究所が見える。
交差点にあった『市役所周辺・成蹊学園並木コース』の標識をたよりに
武蔵野市役所近辺を散策。
武蔵野市役所横の中央通りを上って、五日市街道に突き当り、
五日市街道を上った市民文化会館前で『成蹊けやき並木散歩』の
プレートを発見。ルートに従い陸上競技場まで下る。

吉祥寺の住宅街を歩いて行くと成蹊学園が左手に見えてくる。

成蹊学園の校門を左に見て右に曲がり、成蹊学園ケヤキ並木へ。
冬枯の静寂。
成蹊大学を左手に見て、再び五日市街道に出て、
ひたすら上り吉祥寺通りへ。
そして、出発からおよそ1時間半で吉祥寺駅に到着。
お腹がペコペコになったので、『吉祥寺どんぶり』でしょうゆ+肉増を完食す。
(以前来たときは知らずにごはん大盛りを頼んでしまい完食できなかった)

腹ごなしに井の頭公園を散策。(扉の写真も井の頭公園)
お腹も楽になったところで、風の散歩道へ。
太宰治

玉鹿石。(青森県北津軽郡金木町産)
シャッターを押した瞬間、涙があふれてきました。

近くにある「乞食学生」のプレート。
昔の玉川上水の景色がしのばれます。
そして、今日の最終目的地へ。
太宰のお気に入りの場所。
いいところだろ
風がささやいた。
<参考Link>
青空文庫 (インターネットの電子図書館)