子供のころから昭和生まれ以前の人たちは、「通信簿」によって自分の評価を受け入れてきた。
「情報発信権」が限られた人たちの特権だった時代はそれはそれで社会は成り立っていた。
しかし、インターネットの普及により「情報発信」が一般の我々でもできるようになった今、
「情報発信権」の価値は大暴落しているのではないだろうか。
たとえば、生まれてから今までの「生涯通信簿」があり、それが「私」の「社会」における地位を
決めていたとしよう。
「インターネット以前」の20世紀においてはそれは揺るがすことのできない「運命」だったのかもしれないが、
「インターネット以後」の21世紀においては、自ら情報発信をすることによって、「生涯通信簿」の評価を
覆すことも可能になってしまったのではないだろうか。
もし、「生涯通信簿」を守ろうとする組織がいたとしよう(笑)
たぶん、彼らは自分達が下した「主観的な評価」を守るための「方策」をとるだろう。
その「主観的な評価」は既に大暴落してしまった「情報発信権」を有していた人たちしか見ないのに。
<Link>
<特集ワイド>この国はどこへ行こうとしているのか 鷲田清一さん
九月の「生命(いのち)の言葉」
一燈を提げて暗夜を行く 暗夜を憂ふるなかれ 只一燈を頼め
佐藤一斎
皆中稲荷神社 にて拝受。
2008/09/20
2008/09/18
2008/09/16
VirtualBox
2008/09/14
ノマド
最初にこのことばを知ったのは、スズキの車なわけなんだが、
大学生だった当時はそのCMイメージの「遊牧民」はピンとこなかった。
IT業界に足を踏み入れ、あっちこっちあれやそれやとやってきて
未だ根を張れない今の状況は、「遊牧民」をビンビン感じている(自爆)
忘れていたそのことばを思い出させてくれたきっかけは、スポンタ中村氏。
(ちょっとどのエントリかは忘れてしまったが、たぶんコレ)
再び忘却の彼方にいきかけた、このことばが佐々木俊尚氏のエントリで三度目の復活。
Googleストリートビューは食傷気味だったので読んでいなかったのだが、
今日買ったサブラ10月号の佐々木氏のコラムで、具体的な問題提起を読んだ後に、
上記のエントリを読んだらスルスルと入ってきた。
そして、ぐぐって例によって松岡正剛氏のエントリへ導かれて(検索履歴のおかげかHit率がいいぜ!)
さらに未開の知のジャングルへいざなわれたのであった・・・
あー明日がお休みでよかった(笑)
大学生だった当時はそのCMイメージの「遊牧民」はピンとこなかった。
IT業界に足を踏み入れ、あっちこっちあれやそれやとやってきて
未だ根を張れない今の状況は、「遊牧民」をビンビン感じている(自爆)
忘れていたそのことばを思い出させてくれたきっかけは、スポンタ中村氏。
(ちょっとどのエントリかは忘れてしまったが、たぶんコレ)
再び忘却の彼方にいきかけた、このことばが佐々木俊尚氏のエントリで三度目の復活。
Googleストリートビューは食傷気味だったので読んでいなかったのだが、
今日買ったサブラ10月号の佐々木氏のコラムで、具体的な問題提起を読んだ後に、
上記のエントリを読んだらスルスルと入ってきた。
そして、ぐぐって例によって松岡正剛氏のエントリへ導かれて(検索履歴のおかげかHit率がいいぜ!)
さらに未開の知のジャングルへいざなわれたのであった・・・
あー明日がお休みでよかった(笑)