昨日につづいて「俳句脳」より。
P33に ”「説明しない」という美意識の文化である” とあるが、
本来は、個々の感性で感じ取る文化だったのではないだろうか?
そう思うに至った理由が、この本と同時に購入した「古事記の真実」での、
あかねさす紫野行き標野行き野守はみずや君が袖振る 額田王
紫草のにえる妹を憎くあらば人嬬ゆゑに吾恋ひめやも 大海人皇子
「古事記」の真実 長部日出男著 P44ー45 より
このことばの架け合い。
まるでJazzのインプロビゼイションのような、知性の粋をつくした情念と情念のからみ。
自分の想像もつかないリアクションを、受け手が全身全霊の感性を使って返してくる。
それが、いにしえから続く日本のコミュニケーションなのだろう。
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