2008/03/28

安全保障

ヘテラルキー (Heterarchy) にて、『弥生時代に入り、大陸より「水田・武器・環濠」が伝わり、徐々にヒエラキーの社会構造へと移り変わっていったのではないかといわれている。』としたが、では弥生時代は戦乱の時代だったのだろうか?

著者によると、教科書では「ムラからクニへ」で表現されているように、強いムラが弱いムラを武力で征することによってより大きな政治的統合が生み出されたと考えられていた。その仮説どおり紀元前4世紀頃は戦いで死んだり傷ついたりした人たちの甕棺が出土しているとのことだが、紀元前2世紀頃になると減少する傾向を見せているとのことである。
紀元前1世紀頃にムラや地域の格差や序列が急激に発展した背景には、戦いそのものよりも戦いが存在することの社会的、心理的抑圧がもたらす安全保障への欲求が、北部九州の弥生時代の社会を特徴づける、ヨコ方向の序列形成を推し進めたとしている。

<参考>
旧石器・縄文・弥生・古墳時代 列島創世記[全集 日本の歴史]
松木 武彦 (著)


='ω')fu-~~~混沌から均衡へ・・・

='ω'=)fu-~~~日本という国土は「のみこむ力」があるのかも・・・

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